08 浮上するすべての何かと一人降下する僕だ  01





練習を終えた三橋と栄口は、夜の帰宅路を ふらあり、 ふらありと 進んでいた。


言葉は ほとんど失っている。
口を開く体力さえ残らぬほど、 今日も目イッパイ練習をした。
ふたりは黙って、 ただ自転車を押していた。



疲弊してどうしようもない体を抱えて、
脳ミソは  ”コラ早よう眠らんかい、” と三橋に命令する。

歩きながら半分眠りに落ちそうになると、
三橋の耳に、 聞き覚えのあるメロディが 流れ込んできた。


「あ・・・」

「ん? どした?」

隣りで やはり眠たそうに歩いていた栄口が、 三橋の変化を察知する。


「この曲・・・知ってるんだ・・・」

「あ〜、 ピアノ。」

住宅地の どこかの家から、 風に乗ってきたメロディー。
栄口も耳にしたことはある。 きっと有名な曲だ。




「ルリがよく弾いてた・・・」

三橋がぽつんとつぶやく。

「るり?」

栄口に聞き返されて、
三橋はしまった、 という顔をした。


「や、 い、イトコ・・・・が よく弾いてた。」
照れくさそうに、慌てて言い変えた。

「へえー、 あのこか。」


"ルリ" という名には、 覚えがある。 とてもある。
桐青戦の日に はじめて出会った。



「三橋のいとこ、 ピアノ弾くんだ。」

三橋は いつもそばで 聴いていたのだろうか。
それとも
部屋の中で独りきり、 かすかに響いてくる音色を 聴いていたのかもしれない。

 

いつしか栄口は、
彼女が鍵盤を叩く姿を想像していた。
指先から きれいな音の旋律を生み出せるなんて 野球一筋の栄口には不思議で奇跡的に感じられた。




「なんかいいな。 おれも三橋のイトコのピアノ、 聴きたい。」

思わず口から出た。他意はなかった・・・・のだ。


だから、三橋の素振りが 急に尋常ではなくなって、
驚き、 さすがの栄口も訳がわからなかった。



「・・・・ううっっ、 さかえぐちく、ん、 の、 ・・・ばかっ!!」

「・・・・えっ?!!」  耳を疑った。


事態を把握できずに 栄口は白く固まった。
それを置き去りにして、

三橋はあっという間に 家へと続く、 暗い道の奥へと消えていった。


小説へ戻る 次へ