03. たすけてお前がだいすきです <中編>




昼休み。
栄口を訪ねて、ひとりの男子生徒が1組まで足を運んでいた。

「浜田さんどうしたんですか」

1組の教室をひょっこりと除いた生徒は、栄口もよく見知った男だった。
無造作に伸びた色素の薄い髪を、サラリとなびかせて近づいてきた浜田は、
どうも、と笑って頭をぺこりと下げた。 栄口はすこしうろたえた。


「あの…、三橋のこととか?」
思わず口をついてでた栄口の言葉に、浜田は眼を丸くする。

「ん、あれ、なんでわかんの?」

三橋がらみのほかに、浜田が栄口を訪ねるような理由が見当たらないからだ。
時間もらっていい? と丁寧に聞いてくる浜田を見て、ああいい人だなと思いながら、栄口は首を縦に振った。
じんわりと汗が掌を湿らせた。
折りしも今日は、期末試験の部活休み期間に入ったばかり。 時間に追われるほど、忙しくもなかった。

















青空の下、カラッとした風が屋上を吹きぬける。
髪を撫でる秋の空気を浴びると、試験前の忙しない心持ちが、いささか凪いだ。





「突然でごめんな……どうしても気になってることがあって」
「ぜんぜん大丈夫ですけど…泉や田島じゃダメなことなんですか?」


三橋に関してはプロフェッショナルな9組のチームメイトたちの顔を、
栄口は浮かべた。
浜田は疲労を顔に滲ませながら首を振った。


「二人に聞いたらさ…、 泉には 睨まれながら殴られ、田島には 笑いながら蹴られた」
「ええっ!?」


あいつら三橋が絡むとこえーんだもんよ、とため息吐く浜田に同情しながらも、
栄口は不穏な予感を覚えずにはいられない。
しかし
浜田をほっぽらかしてこの場を立ち去るほど冷酷でもない彼は、多少気が向かなくても、ベストを尽くすつもりではあった。
浜田は長身を屈め、
田島の上履きの足跡がくっきりと判押しされたシャツの背中をさすった。




「俺とミハシって、チビの頃よく遊んでて…っていうのは、知ってる?」
「ああ、ギシギシ荘」


三橋の だいじなだいじな 思い出のカタマリが、 
ある日突然、
年上で同級生でクラスメイトの男として現実に目の前に現れるとは、野球部員の誰が予測できたであろう。
現在のこと、
三星での学校生活を思うと、浜田と過ごした幼いひとときは、 三橋にとっていちばん
無邪気に日々を楽しんでいた時期だったかもしれない。


「ギシギシ荘にいたころも、ミハシは言葉少なかったし、よく泣いたりしてたけど、」

…きたきた。次の言葉は、なんとなく想像がついた栄口だった。


「もっと懐っこくてさ、ニコニコしながらこっち寄ってくるような感じだったよ。 今…なんであんなビクビクなんだと思う?」

(…あー、 そら殴られるし蹴られるよ)
泉と田島の顔が
ありありと見えるようだった。 
栄口は頭の片隅で苦笑いしながら、話の続きを浜田に促す。


「あいつ試合で投げてるの、すげーかっこいいだろ。
三橋のこと、みんな気になってるみたいだけど…本人が、なんか怖がっちゃって逃げるんだよな」


なんでかなー、とぽつり呟いた浜田。
さっきはそこまで話したところで、わけもわからず泉と田島の総攻撃に遭ったのだ。 なんでだ。 なんで怒るんだ。


「三橋のビクビクの理由を知りたいってこと?」
いやに冷めた自分の声に驚きながら、栄口は浜田をみつめた。


「ん、あー、うん。……心配なんだよ」
ふたりの頭上を、 
淡い水色の空を トンビがぐうるり、ぐうるりと旋回していた。 栄口は、できるだけ冷静であろうと努めた。


栄口の脳裏に、
三橋の、
少しずつ必死に目を合わせようとする薄茶色の瞳が浮かんだ。
ときどきもどかしくなるくらいの、遠慮がちな仕草が映った。
浜田と抽選会場で再会した日の顔は、

(…ほんとうに嬉しそうだった)




「理由がわかれば、なにかできるんですか。ただ、知りたいだけじゃないんですか?」 
気を抜くと、語気が強くなりそうだ。


「そりゃ、知りたくもあるよ。 急にギシギシ荘からいなくなって、ずっと気になってた。
だからまた会えて、ほんとうに嬉しかったんだ」


浜田の真剣で大人びた眼が、切なそうに栄口を見た。
その瞳の色から、三橋へのいろいろな後悔と、抑えきれない熱が見て取れた。


三橋へのまっすぐな想いを、迷わずに語る浜田に感動しながら、 
もう一方の自分が、とても苛立っていることに栄口は気がつく。
厳しい言葉を、
そのまま喉の奥にとどめることができなかった。


「三橋に直接きけばいいんだ。今、言ったことを三橋に言えばいい」

「そ、そんなことはっ…」
刺すような返答に、浜田の喉はカラカラに乾き、顔はこわばった。そして栄口もまた。



「浜田さんは好きなんだよ、三橋のこと」
「!?」
浜田は眼を見開いて言葉を失う。
“好き”の意味はわざわざ教えなくても、自分の胸に聞いてみれば、おのずとわかることだろう。






「そんなに知りたいなら、たぶん聞けば自分で話しますよ、三橋は」
そのまえに、
田島と泉がただでは済まさないだろうけれど。


栄口は浜田に背を向ける。
そして呆然とする彼を屋上に残したまま、校舎の中へ戻っていった。



金属製のトビラがバタンと閉じて、
それが境界線となって 二人の間を完全に遮断した。


















血が上っているのか、冷め切っているのか?
あまりにも一方的な態度を、止めることができなかった自分。



栄口は、落ち着かない頭の中を鎮めながら、階段をゆっくりとおりる。
浜田の話に、かなり焦った。そして苛立って、
だから、あんな。

1階までおりてきたところで、よく見なれた、うす茶色いクセのある髪が視界にはいった。
ヒリついていた喉の渇きや、澱みそうな思考が、ふっとかき消える。


「よ、みはし」
「さ、さかえぐちくんっ。 は、よっ」


驚きと緊張を隠せない三橋の淡い瞳が、 それでもしっかりとこちらを見つめる。
このまま会話をつづけてもよいのか、測りかねているみたいだ。
無意識に、
栄口の次の句を欲しているのがわかった。
色素が薄すぎて仔猫を思わせる三橋の、 透明なまなざし。


(ほんとうに、目が合うようになったなあ) 
知らず知らずのうちに、栄口は口角を引き上げる。




………ここが 学校の廊下じゃあなかったら、 今、襲ってるところだ。

心の中で自嘲しながら、 こちらの様子を探っている三橋に優しく話しかけた。


















残された浜田は、しばらく何も考えられなかった。
上空で、
ピューイ、とトンビがひと鳴きしたところで思考が少しずつ目覚め、温まってきた。



「……はーっ…まいったな……ほんとのことだ」

もやもやとした胸のつかえを吐き出すように、ため息をついた。
このまま三橋の顔をみることも、
泉と田島の警戒心に火をつけることも気が進まず、午後の授業には出席しないと決める。
日当たりのいい場所にごろりと寝ころんで、目を閉じた。



『浜田さんは好きなんだよ、三橋のこと』

栄口の言葉が胸の奥深くに引っ掛かっている。


それにしても三橋を大切に思っている奴の目は、 みんなああなのか。
常日ごろ目の当たりにしている、
クラスメイトたちの自分を見るまなざしと、 似通った光を栄口から感じ取った浜田は、
聞く相手を間違えたことを今更ながら悟った。

ただ泉や田島と違うのは、
決して激さないが、核心を突いてくる静かなセリフ。
ふたりみたいに、有無を言わせず力技を行使されたほうが、まだダメージが少なかったかもしれない。
それくらい、彼の言葉は真実に迫っていて、
逃れようもなく浜田の意識から離れなくなった。

兄貴ヅラして幼馴染の三橋を気にかけていたけれど、
ほんとうのところは、
彼の過去を、
そしてこれからを全部独占したかっただけかもしれない。



「あ〜、 俺ヤバいな…」

苦いものを呑んじまった。  声を絞り出しながら目を閉じた。

浜田が このままついでに寝ちまおうかな、と考えたところで、
キイといって屋上の扉が開いた。 
扉の開閉音とともに、なぜか栄口が戻ってきた。





「え、あ、な、なに!?」
浜田は思わず飛び起きて、上半身を起こした。
栄口は無言で、半分横たわったままの浜田に駆け寄る。そして、開口一番こんなことを言った。


「お願いがあります」
「…え?」

相手の意図が読めず、
なんとなく嫌な予感で眉をひそめた浜田を見て、栄口は不敵に笑った。

さっきよりもずっと優しい、おだやかな表情が、 浜田の不安感をますます増幅させていった。









 
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