70 凍てつく感情の数え方も知らないで 01










 


 木暮は、本日の昼食は屋上で取ろうと赤木に提案した。
 しかしあいにく赤木には、委員会の仕事だとかで断られてしまった。
 


 昼ごはんの供を失った木暮だったが、一人もたまにはよいだろうと 予定どうり屋上へ向かって階段を上っていった。
 そして、早々に自身の思いつきを後悔する。







 「すきです。」


 あと数段のぼれば 屋上への扉にとどく階段の踊り場で、木暮が耳にしたのは女の子の震える声だった。
 短いコトバだったが、胸に迫る思いが、十分に込められている。

 
 木暮にとっては、それはよくある告白の一場面ではなかった。
 問題は、相手の男が。



 話を聞いているのかいないのか。男は眠たそうな目で少女を見下ろしていた。
 首をかしげ、ぼさぼさの黒髪を二、三度掻いてから


 何事も無かったように。最初から女の子などいなかったように。
 

 くるりと体の向きを変え、屋上へ消えていった。
 とり残された女子生徒は 焦燥しきった、諦めきった、そんな表情のまま動かない。






 (ああああ・・・あいつは・・・もう・・・) 木暮は頭をかかえた。


 本人に代わって謝りたいところだ。
 うちの子がすみません。なんかもうすんません。 
 気を揉んでいる木暮の横を、うなだれたまま彼女は階下へ走り去っていった。
 

 はっきりいって屋上へは行きたくないが、今更教室へ戻り、赤木に不審な顔をされるのもややこしいだろうな。
 諦めて屋上のドアのノブをまわすと、手のひらに嫌な汗をかいていた。
 
 
 

 
 
 
 









 屋上は五月晴れの陽光にさらされていた。


 新緑の青葉が、こんなに高い場所にまでその香りを届けてくる。
 穏やかな気候に、
 流川はすでに夢見心地であった。
 

 深い眠りへ引きずり込まれる心地よさに 身を預けかけたとき、
 ガタン、
 と重たいトビラが開いて、誰かが屋上へ足を踏み入れる音を聞いた。
 足音は、流川の耳元を行ったり来たり、ためらいながらも、すぐ側へ近付いてきた。



 俺の眠りを妨げるものは 何人たりとも 許さん



 
眠りと覚醒のハザマで、自分は幾度と無くこの台詞を吐いてきた。
 誰だか知らないが足跡の主も
 あともう数歩 流川との距離を縮めようものならば、きっとおそらく血を見ることであろう。
 


 命が惜しければ、寝ているルカワに近付くな。
 
 湘北高校全生徒、全教員の暗黙の了解であった。
 昼食時の屋上は、いわば 鬼門
 しぜんと生徒達の足は遠のいて、流川にとっては好都合な昼寝場所になっていた。
 



 ところで命知らずな屋上の侵入者は、木暮だ。
 散々悩んだ挙句、長い手足を投げ出して眠る流川の側へ歩み寄る。
 
  寝起きの流川が、冬眠明けの熊並みに凶暴なのは、重々承知している。

  男の手が届かないギリギリの距離を空け、ランチタイムに興じることにした。



 (男の寝顔を見ながら食事とは、俺もぞっとしないなあ。) 

 母の手製の弁当をほおばりながら、一種異様な今の状況に、木暮は苦笑いするしかなかった。


 身長が高い。跳躍が高い。いつも見上げてばかりの後輩の顔。
 こうして見下ろすのは初めてだった。
 寝顔はけっこう あどけないんだな。

 無口で無表情。発する言葉といえば、
 

 どあほう、とか 眠い、とか ちわす 、とか。 


 彼が ひたむきな精神力と 人並みはずれた身体力を注ぐのは、バスケットボールと睡眠のみに限られた。
 
 まるでそれ以外は何の意味もなさないように。
 
 先ほどの告白劇だって、流川の表情から 彼の心を読み取るのはむずかしかった。




 (友達いるのかな。)


 おなじ問題児でも、桜木には友達が多い。少々乱暴だが人懐こくて、屈託ない笑顔で木暮にも接する。
 



 「ルカワー、昼メシも食わずに寝てるなよー、」 余計なお世話と知りながら
  
 相手が眠り込んでいるものだと決め付けて、端正な一年生の寝顔に語りかけた。
 
 ので。







 「なんスか」

 長身がむくりと起き上がって、返事をするとは思いもよらず。



 「うわああ!! おちつけ! 流川! おれだよ!!」 食べかけの弁当箱の中身を丸々ひっくり返してしまった。


  かしゃん、 ぺしょ。
 
 最後に食べようと思っていた、哀れエビフライは、米にまみれて落ちた。
 軽くパニック状態に陥った木暮。本能で自身をかばう。  


 「・・・先輩。」

 
 ゆらり、  座ったまま動けない木暮の上に、流川の長い陰が落ちる。

 

 うららかな春の屋上で、木暮は己の死を覚悟した。
  
 





































































































































































































 つづきます 木暮さん危機一髪。



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