75.ダウトコール 05-3






 








ざんっ

疾走する六本の足が急停止して森の腐葉土を削った。


「…はめられた」 水谷は、汗と埃で少し乱れた髪を、クシャクシャと掻いた。
「お見通しだったんだ…」 疲労感が沖の肩にずっしりと圧し掛かった。
「う、うおっ」 三橋はキョロキョロと首を左右に動かした。


迎え撃つ四本の足は五分程前から、その場で静かに待機していた。

「西広…味方でマジよかった」 泉は複雑な気持ちで唇の端を引き上げた。
「ここにいるの全員捕まえりゃ俺たちの勝ちだな」 阿部の視線は三橋のみを、捕らえる。全員捕まえると言いつつ。

阿部の眼光に射すくめられた三橋は、下手すると卒倒しそうなほどに顔色が悪い。
さっき牢屋エリアであんな逃げ方をした自分に腹を立てているのだと思った。
いっそ大人しく囚われようか。沖と水谷だけ無事に逃げれば…いい。





緊迫した空気が、しばらくのあいだ彼らを包んでいた。


ツカツカツカ、と
しばらく膠着状態だった泥棒チーム三名と探偵チーム二名の重苦しいにらみ合いの時間を破って、
阿部は三橋に詰め寄った。

「ふお!?」 ビク、と三橋は反射的に飛び上がって水谷の背後に隠れようとしたが失敗。
阿部は三橋のユニフォームを両手で掴むと、自分の目の前にその体を無理やり引き寄せた。

「なっ!?」
「あ、あべっ ちょっと!」
「てっ…めえ!!」
ほかの三人は明らかな非常事態に敵も味方もなく阿部と三橋を取り囲んだ。




(あと三秒以上掴んでみろ。ぶん殴る!)泉の拳が格闘仕様にギリリと握られたところで、
阿部の指は三橋のユニフォームを開放した。

ふら、
反動でよろめいた三橋を今度は信じられないほど丁寧な動作で阿部が支えた。
右腕とうなじに触れた阿部の指先が、怖いくらい冷たい。


「あ、あべくん」 
三橋のはしばみ色の瞳が尋ねるような様子で阿部の視線にピッタリと定まる。
不自然なくらいなんだか安心して、そんな心境になっている自分が阿部は可笑しかった。
「あべくん、逃げてごめんな…さい」
涙を溜めて、三橋は叱られた子供みたいにごめんなさいを繰り返す。阿部の心を勘違いしたまま。
体温を分け与えようと、ためらいながら氷のように冷えた手を取った。 

周りで泉たちが息を呑む気配がした。
阿部は無意識に泣きそうになった。



…やっと震えが止まった。
阿部の指先は、寒さに凍えてカタカタ震え続けていたから。


あの場景を見た瞬間から。
























今日の気温はたしか三十二度だって言ってなかったか?
…なのに寒い。




目が離せなかった。
本能は拒否を続けて、ガンガンと頭が割れそうなくらいに警鐘を鳴らしてくるのに。
それは否定したい一方で、根っこの自分が望む三橋の姿だったからではないのか?

ただ、その相手が俺ではなかっただけで。







ふたりは額を寄せあっていた。
三橋はベンチにペタンと座っている。向かい合って立つ栄口はそれを覆うように身を屈めている。

口が開きっぱなしでひたすら無言の三橋。
忙しなく唇を動かして何度も謝罪の言葉をくりかえす栄口。

苦しそうに歪んだ栄口の顔を、三橋はひた、と凝視している。
その眼が、
拒絶するどころか熱に浮かされ淡い色を帯びて、相手を無意識に煽っているなど知りもせず。
だらんと前に垂れ下がった三橋の両腕は、指先だけが弱弱しく栄口を求めて体に触れていた。

謝ることで頭が一杯の栄口は、まるっきり気がついていないけれど。
三橋の危うい片鱗を見止めてしまったのは、残念ながら阿部独りだった。

栄口のユニフォームは、三橋に強く握り締められたのであろうクシャクシャの皺がくっきりと跡になっていて
やけに生々しかった。


(マウンド以外でもそんな顔するのか?)


ガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガン



理解しにくいたどたどしい言葉
陽光に反射する大粒の涙
壊れそうになってもマウンドへ向かう背中
鳥肌が立つほど静謐なストライク・ボール
ピタリと重なりあうボロボロの掌
名前を呼ぶ掠れた声

三橋が差し出すモノぜんぶ、当たり前じゃないって?

ガンガンガンガンガンガン

―これは警告だ。

カッシャーン、

頭の中で警鐘を粉々に破壊した。



「栄口!!」
叫んでいた。


弾かれたようにこちらを見た栄口の驚いた顔、
夢から覚めたばかりの正気染みた眼でこちらを見た三橋。

それを目にしたとたん、
阿部は自分の手指がガタガタと震えていることに、今更ながら気がついた。


(ダウトコール5話 終)











 


読んでくださってありがとうございました! 次回は最終話の予定ですっ。
しかし勝負つくのかコレ・・・?
 

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