初めてです。笑ったのは。(おおきく振りかぶって)  05





三橋の自宅はそれはもう、大豪邸なのだが、門構えも屋敷に引けをとらぬ、立派なものだった。
朝から降り止む気配の無い雨が、深緑色の鉄柵を濡らしている。
一緒に下校してきた三橋と栄口は、その豪奢な門の前に立っていた。


うちへ泊まってほしい、と遠慮がちに申し出た三橋に、
栄口は夢のようだとぶっ倒れそうになった。
栄口に笑顔を取り戻すため、律儀にもずっと傍にいてくれようとする。
そんなけなげな提案を断っては、男がすたる。つーか、こんな機会もう二度とこないかも。               

急な訪問にも三橋の母は嫌な顔ひとつせず迎えてくれた。廉が友達を連れてくるのはとても嬉しいと言った。
二階の三橋の部屋に通されると、ちょっとまってて、と言って、三橋は階段を下りていった。
栄口は一人、とり残される。

     ・・そうだ。ウチに電話しよ。

男子高校生とはいえ、無断外泊は家族に心配をかけるであろう。
携帯で自宅電話の呼び鈴を鳴らすと、ほどなくして姉がでた。



「もしもし、俺だけど。あの、急なんだけどさ、今夜友達のウチに泊めてもらうことになった。」

≪友達って…野球部の子?そっか。そうね。仲いいみたいだしね。≫
電話越しの姉の声は、少し戸惑いを含んでいる。

「・・・?」 姉の意図がよくわからない。

≪勇人の誕生日、部活の子達に祝ってもらえるんでしょ。ウチは明日にするって父さん達に言っとくから。≫

・・・ん?・・・誕生日・・・?
     ・・あ、えーっと。


忘れてた。

わが身に起こった事件に気を取られ、意識の中からきれいさっぱり飛んでいた。






姉は、楽しんできなよ、と栄口に告げて電話を切った。

するとちょうど良いタイミングで三橋が部屋に戻ってきた。
お茶とケーキが載った盆を、危なっかしいバランスで運んでいる。
手助けしようと、栄口が三橋から盆を取り上げると
ケーキの上には、文字入りのチョコレートが乗っかっていた。

“おたんじょうびおめでとう” そう書いてあった。

「三橋・・・コレ。」
信じられないが、これはまぎれもない現実だ。
三橋は恥ずかしそうに、たどたどしく説明してくれた。

「ほんとうは、みんなで・・・お祝いしようって、計画した、ん、だけどっ。栄口くん、
 病気だから・・・。おれだけ、で、 おめでとうで・・・ゴメンナサイ。」



さっきまで、今日は厄日だと思っていた。
ひょっとしたら、死ぬまで三橋と笑いあえないのだと、悲嘆しかかった。
それがどうなっているのだ。
大好きな三橋が側にいる、邪魔者はどこにもいない。
めったに食べられない、おいしそうなイチゴのケーキがある。
独り占めの三橋。そしてワンホールのショートケーキ。
受難の日だと疑わなかった今日が、
なにより実は、じぶんの誕生日だった。

ああ
そうか
わかったぞ


(これは誕生日プレゼントだったのか。)


栄口は今回の奇妙な出来事について、ようやくある結論を見出した。
神様でも、仏様でもない。






こんな、自分の愚かでひそやかな願望を叶えてくれる存在なんて。
この世でただ一人しかいないのだから



母さんありがとう


声無くつぶやいて、草木の湿る窓の外を見た。
あれほど降り続いていた雨は、どこかへ行ってしまった。
空からは雨上がりの夕焼けが、庭一面を照らしている。
陽射しを吸収してきらきらと輝く水滴は、母親が好きだった宝石の色だ。



隣りでおなじ光景を見ていた三橋が、そときれいだね、と嬉しそうに言った。

栄口は三橋の顔を見ながら、ほんとうにきれいだと、ありったけの笑顔で答えた


17 初めてです。笑ったのは。)

その後栄口くんは、ケーキとミハシをしっかりバッチリ堪能しましたよ。               

柑橘径へ戻る< 小説へ戻る