上を向いて歩こうよ。でも、涙はまぶたの器に容れきれなくって、溢れてつうとながれ落ちるのだ。
「三橋、空見てみなよ。」
「う?」
幼児のような受け答えで、少年が素直に上を向けば。うおっ、とやはり幼ない感嘆の声が、
彼の少し乾いた半開きの唇から漏れた。「空、すご、い。」というつぶやきも、漏れた。
「だな。三橋ならわかってくれるだろうなって思った。」
「え、…うん?」
三橋はよくわからないけれど、褒められた気がしてうれしくて、隣で一緒に空を見ている少年の顔を見た。
人の顔をまじまじと見るのは苦手だ。見られるのは怖い。
でも、不思議といつの間にか見ることができるようになっていたのは、
栄口くんの眼がはじめてだったかもしれない。
三橋のシナモンブラウンの目玉がまっすぐ、不躾といってもいいほどまっすぐに、見詰めてくることを、
栄口は無視してしまいたくなる。俺だけを見てほしいという気持ちとはまったく裏腹に。
だって、
五メートル後方では 阿部が、 ごすっ、 ごすっ、と怖い音をたてている
そのすぐ傍で 水谷が、 うわあやめろあべ、ときっと叫んでる
三メートル先四時の方角からは 田島が、 三橋に後ろから飛びつこうとしている
同じ方角で 泉が、 そんな田島を羽交い絞めにする
ああ、ほかの部員は… 物陰から見ているんじゃない??
(馬に蹴られて死んでしまえ。)
珍しく物騒なことを考えた。
駄目駄目。三橋が野球できなくなるだろ?三星に帰られたらそれこそ困るではないか。
時に邪悪な、時になまあたたかい周囲の気配に圧されぬ様に
自身を励ますつもりで栄口はピッチャーの手を探った。
絡め取った君の指はあたたかい。それだけで今は十分なのさ。 (86 遠く空は割れ) |