36.焦げたパン止まったオルガン











どこへ行くのですか?
そんなん、答えはわかっとる。





戦いの場へ、戦いの場へ!
笑ってくれたっていい
たいへんやな
それでもまってるものがあるなら
俺らは行くしかないんだろう













「おーい、織田」
「なん?」



「いま、ホームシックか?」
「は?」


グラウンドを走っていた。
夏までの最大の目標はスタミナをつけること。それを見事に有言実行して、
いまでは数キロ走ったってそうそう息を切らせることもなく、
涼しい顔をして走っていた彼は唐突に話しかけてきた。



知ったかぶった顔をして、いったい何をいうんや。
織田は眉を下げて、めっぽう気性の強い未来のエース候補の瞳を頭ひとつ分ほど上方から見据えた。
あと数ヶ月もすればおそらく190cmには達してしまうであろう長身の織田から見おろされても、
一瞬たりとも怯まない男の顔を見つめて、織田は決してからかわれているのではないと悟る。



「そんなふうに見えとるか? 俺」
「さあね」

どっちやねん。肩透かしをくらったような気持ちになって、織田は真面目に取り合うことはやめようかと思った。
こいつはときどきようわからん。
こんなに強い心を持っているのに、誰にもふりまわされることのない強さを持っているのに、


「廉が好きだ」

5月の合宿シーズンだった。埼玉のとある名もない高校の、出来立てほやほやの野球部と交流試合をして負けた、
そんな日があった翌週のことだ。
三星のグラウンドを二人でランニングしていたら、こいつえらく唐突なことをいいよった。
好き? それはそうだろう、幼馴染なんだから。そういったら



「あいつが泣かないならあいつが笑うなら俺はなんでもしたくなる」
「ええなあ、幼馴染って」
「なんであいつはここにいないんだよ?」
「は?」
「廉がいなくても野球やれる。でもあいつがあんな顔してても一緒にいたかったんだ」


それは傲慢だった。わがままだった。ほんとうはいろいろと間違えてたかもしれない。
でも廉がああなっても俺はそれでも。

織田は、叶の絞り出すような最後のほうの言葉はよく聞き取れなかった。
ゴウッと風がふいた。
長めの叶の前髪を強風が乱した。

自分に自信のなさそうな、涙をずっと浮かべていたあの気の弱そうな投手の表情が織田の脳裏に浮かんだ。
でも相当えげつなかったわ、あの投球。
捕手がそういう性格しとったんやろうな、
あの打席での口惜しさも同時に思い出してしまった織田はげんなりとした。

叶の思惑も、苦悩も、苛立ちも、織田にはよくわからない、でも
ただ聞けばいいのだろう。
だから


「大阪じゃ俺、当てがなかったんや」

それでも戦える場所を目指した。
満足してる、ここにいることを。

心の奥底に沈めたまま、
一生涯いうつもりなどなかったある言葉が拍子抜けするくらいにサラリと織田の唇から流れ出た。


「そうか」


聞くだけ聞いて、短く答えた叶のそっけない言葉が返って楽だった。
ただそれだけでも、聞くだけ聞いてもらえるのは悪くない。
べつに俺の思惑も、苦悩も、苛立ちも奴にはよくわからないだろうけれど。


「廉に会いたい」

ぽつりと叶は呟いた。
いつからか叶は織田にこういうことをよくいうようになった。
廉が好きだとか、廉とキャッチボールがしたいとか、廉に触りたいとか。




神サンはときに残酷やなあ。

ふいによぎる、さびしそうな、ほんとうにさびしそうな、チームメイトの様子をみると、
織田は考えずにはいられないのであった。




あなたのしあわせがいちばんだからといって
さびしいことにはかわりない
だからおれは自分のためにたたかいます


そのあいまにでも
あなたの笑顔とか涙とか「ありがとう」といったたったそれだけのことが
おれの日々を縛るのです





「廉に会いてーーーーー」
「アホか!! そんな大きい声で叫んだら…」


叶と織田、無駄口を叩く奴はもう10週走ってこい! というコーチの怒号が三星のグラウンドに大きく響き渡った。








36. 焦げたパン止まったオルガン




まだ付き合いが浅いからこそ築ける関係もきっとある
越境している子たちもイロイロ

無性に書きたくなったカノミハ
オダミハもいつか書きたいです




 柑橘径へ戻る< 小説へ戻る